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ザ・トライブ


© GARMATA FILM PRODUCTION LLC, 2014 © UKRAINIAN STATE FILM AGENCY, 2014

ПЛЕМ'Я 英題 : the tribe(2014)

監督&脚本:ミロスラヴ・スラボシュピツキー

ウクライナ

R18+

出演:ヤナ・ノヴィコヴァ、グレゴリー・フェセンコ

全編手話。

字幕なし。

ただ、そのことが返って、彼らの内にある激しい感情を映して出しているようにも思えた。

舞台はウクライナにあるろうあ者の寄宿学校。

昨今、ロシアとの関係で話題になっている国だ。

日本に入って来る情報と言えば、戦争にまつわることばかりで、その国がどんなところなのかよく知らない。

知っていると言えばサッカー選手のシェフチェンコぐらいか。

彼のおかげで、ウクライナのサッカーはあなどれないという印象を持っている。

タイトルのザ・トライブとは「集団」の意味を持つが、単なる「集団」ではなく上下関係を含むものでもある。

本作品の中でのそれは、ろうあ者の転校生が入る寄宿舎に蔓延った「族」を指す。

そこでは権力を持つ者を中心としたヒエラルキーが敷かれていた。

彼らは日常的に売春、恐喝などをくり返していく。

そんな殺伐とした光景が幾度となく映し出される。

この映画では長廻しの撮影が多用される。

それは単なるスタイルとして用いられているわけではなく、この映画では必要な手段だったのではないかと思う。

この映画の会話はすべて手話で行われる。

観る者は、そこで行われる声なき会話を目の当たりにしながら、彼らのやり取りの内容をイメージしていくしかないのだ。

そこで必要となるのは、最初から最後まで言語以外の情報をワンシーンの中にみせることだ。

カットなどの編集が加われば、その時点で情報が分断される。

それでは内容が伝わらなくなってしまうわけだ。

ひょっとしたらであるが、この映画の経験から、言語が「理解を容易にする手段」ではなくて、「理解の速さを促す」もののように思えてきた。

言語を獲得して理解の速さ増したことにより、人類の進化が加速することになったのかもしれない。

この映画はとても不自由だ。

彼らは意思を伝えるために自分の方を向いてもらうことが必要だし、なにより手を使って作業している時には意志を伝えられない。

この不自由さは、彼らの身体を通じて、ろうあ者だけはなく、ウクライナという国の現状を映し出しているようにも思えた。

言葉での理解は必要だ。

ただ、それ以上に「事態を目撃することの重要性」をこの映画は教えてくれたように思う。

© GARMATA FILM PRODUCTION LLC, 2014 © UKRAINIAN STATE FILM AGENCY, 2014

ザ・トライブ公式サイト:http://thetribe.jp/index.html

5月9日(土)より、伏見ミリオン座にて公開!


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