パプーシャの黒い瞳
© ARGOMEDIA Sp. z o.o. TVP S.A. CANAL+ Studio Filmowe KADR 2013
PAPUSZA(2013)
監督・脚本:ヨアンナ・コス=クラウゼ、クシシュトフ・クラウゼ
出演:ヨヴィタ・ドブニク、ズビグニェフ・ヴァレリシ、アントニ・パヴリツキ
ポーランド
ジプシーとして生まれたパプーシャは、文字に興味を持ち、やがて詩を口ずさみ始める。
彼女の言葉に惹かれた詩人のイェジは、やがて彼女の言葉を詩集として出版する。
ジプシーと聞いてイメージするのは音楽だ。
激しくも物悲しいメロディは好きである。
あとは、彼らがヨーロッパの貧しい民で定住しない民族といったイメージだ。
彼らは荷馬車という移動式の仮家屋で生活をする。
その中には生活に必要なものが揃っているので不便ないのかもしれないが、なぜ彼らは定住しないのであろうか?
この映画の中で、彼らジプシーは「記憶を持たない」というセリフがある。
放浪する彼らにとって過去は消え去るもので、そこへのこだわりを捨て去ろうとしているようにも思える。
ではそれが定住しない理由なのだろうか?
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そんなジプシーであるが、この映画の中に彼らのプライドを感じさせるシーンがあった。
パプーシャの詩とジプシーのことが出版された時のこと。
ジプシーの言葉が公けになったことで、彼らはパプーシャを激しく責め立てる。
それを観た時に、彼らが自らの「言語」に強いアイデンティティを持っていることが垣間見られた。
では、民族のアイデンティティというものは、「言語」に宿るということだろうか?
確かにそれもあるかもしれない
ただ、もう一つ重要なアイテムが、この映画には描き出されているように感じた。
それは荷馬車である。
ポーランド政府からの要請で定住を強いられた彼らの中には、荷馬車を捨て政府の方針と共生し始めるものいる。
その反面、今でもジプシーであることにアイデンティティを持つ者は、家の前に荷車がそのまま置かれている。
つまり、この映画を観ながら、「家」という存在は「アイデンティティの保管庫」でないかと思うに至った。
ジプシーは放浪するうちに自らのアイデンティティを荷馬車に投影することになり、定住することに対して強情なまでに拒む事態を作り出したのかもしれない。
なぜなら定住は、彼らのアイデンティティである「家」から、つまり荷馬車から降りることになるからだ。
そう考えると、持ち家を欲する人の気持ちもよく分かる。
それは自然災害や戦争などで家を失った人が家を求めるということにもつながっていく。
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精神的に追い詰められたパプーシャは、「私はこれまでに詩なんて書いたことがない」と、こころを閉ざしてしまう。
まるでパプーシャのこころが伽藍胴になってしまったかのようだった。
パプーシャの意味は「人形」。
空っぽな身体の中から紡ぎだした言葉は、彼女のこころに残ることがなかったのだろうか?
それとも、ジプシーたちが言うように、彼女(ジプシー)は言葉を紡ぎだした「記憶をもたない」存在だからなのか?
追伸
この映画の冒頭に登場するソプラノ歌手のこと。
なんか聞き覚えのある声で見たことがあるな~、と思ったら、『アヴァロン』(2001年、監督:押井守)で歌っていたソリスト、エルジュビェタ・トヴァルニツカだった。
パプーシャの黒い瞳 公式サイト:http://www.moviola.jp/papusza/
名演小劇場にて公開中!
配給:ムヴィオラ