海街diary
©2015吉田秋生・小学館/フジテレビジョン 小学館 東宝 ギャガ
海街diary(2015)
監督・脚本・編集:是枝裕和
日本
出演:綾瀬はるか、長澤まさみ、夏帆、広瀬すず
一軒家で暮らす三人姉妹のところへ、もうひとり妹がやってくる。
彼女は、三人の父親とのちの妻との間にできた子ども。
父親はその後、その女性とも別れて新しい女性と結婚していたのだが、父親が亡くなったため、彼女は血のつながりのない家族の下で暮らすはずだった。
ただ、父親の葬儀に出かけた三姉妹が彼女と会ったときに「一緒に暮さない?」と声をかけたことがきっかけで、四女となる彼女が三姉妹の元へとやって来たというわけだ。
文章で書くとなんとも複雑な関係のようだが(実際、複雑!)、映像はそれを整理し、丹念に描写していく。
小説やドラマでは、複雑な人間関係がテーマとして描かれることもある。
でも、現実はどうなのかというと、おそくもっと複雑なのだろうと思う。
上述のように、この作品の人間模様はかなり複雑なのだが、ごく普通の日常として描かれている。
このくらいの人間模様は当たり前と言わんばかりだ。
四人姉妹へと変わった彼女たちだったが、わだかまりができることもなく、自然な状態でお互いを受け入れていく。
ただ、末の妹にとっては、急に姉が三人もできたわけだし、彼女たちのことを知っているわけではない。
むしろ全く知らないと言っていい。
この作品は、そんな彼女の目を通して、三人の姉たちの胸の内や日常を描いていく。
それは、私たちが日常的に経験していることのように思われる。
職場や家庭や住んでいる街で経験していること。
それらが取り立てて特別なことではないこと。
つまり、この作品を見ていると、私たちは複雑な人間関係をごく普通に経験しているということが分かる。
おそらく、映画、テレビドラマ、小説に描かれている内容よりも、異常で過剰な関係の中にいるのだと思う。
そうした日常の中で重要になってくるのが居場所ではないだろうか。
居場所というキーワードは、心理学の中では余り研究されていない。
おそらく、世間で使われているほど研究対象にならないのだと思う。
理由はいくつか考えられるが、その中の一つに概念が整理されていないということがある。
つまり「居場所とは何か?」の定義がなされていないのだ。
それは抽象的な部分をぬぐい去れないことにつながる。
心理学は科学になりたいという願望があるので、研究になるには具象的な部分が対象となってくるのだ。
本来、こころというのは抽象度の高い概念なので、それは真逆のことに思われるが、実際研究するとなると、やはり具象的な対象でないと研究計画自体が立てられないのである。
まあ、そんな愚痴を言っても仕方がない。
四人姉妹は一つ屋根の下のどこに居場所を見出していくのだろうか?
この作品は、それを私たちの立場に変えて、こっそりと教えてくれているように思う。
©2015吉田秋生・小学館/フジテレビジョン 小学館 東宝 ギャガ
6月13日(土)より、ピカデリー他で公開!
海街diary 公式サイト:http://umimachi.gaga.ne.jp