グローリー -明日への行進-
© 2014 Pathe Productions Limited. All rights reserved
Cerma(2014)
監督:エヴァ・デュヴァルネイ
アメリカ
出演:デヴィッド・オイェロウォ
キング牧師の名前を知っている。
どういう存在なのかも、なんとなく(正しくないかもしれないが)知っている。
そして、暗殺されたことも知っている。
この映画は、彼がノーベル平和賞を受賞し、世界から注目を浴びた翌年の出来事を描いたものである。
1965年、筆者は3歳。
そのころのアメリカで何が起きているのか、まだ知る由もない。
筆者にとってのアメリカは、1969年のアポロ11号月面着陸から始まる。
それまではアメリカという国を意識したことはなく、ただ日本がかつて戦争した国であり、広島に原爆を落とした国である、とその程度の認識だった。
憧れも卑下もなかった。
その後、私は前述のアポロ計画に胸躍らせるようになり、過去にアメリカが日本におこなった行為を、悲しいと思いながらも敵意までには至らないでいる。
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アメリカは「自由」の国だという。
「自由」を声高に詠う。
しかし、それは不自由だからかもしれない。
本当に「自由」が当たり前なら、その言葉は消えていくだろう。
かつて阿久悠さんが「愛し合うことが当たり前なら『愛』という字はいらないことを~♪」という歌詞を書いた。
今でもアメリカでは、黒人差別問題がテレビに流れ、貧富の差も広がるばかりだ。
「自由」という言葉は、一部の富裕層が享受しているだけのように思う。
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その「自由」を勝ち取るために、黒人が公民権運動で立ち上がった時、セルマで事件が起きた。
選挙権を求めて行進している黒人たち。
彼らに暴力行為を行う白人警官たち。
その様子がテレビで全米に報道されたのだった。
報道を見て集まって来た人種、性別、年齢をこえた人々は行進に合流する。
しかし今度は、参加した白人たちへも暴力が振るわれることになった。
そのシーンを見て思ったことがある。
それは、差別が、民族、人種、国、宗教観、貧富、外見などに起因するのではなく、思想からくるのではないかということだった。
言うなれば、差別は、アイデンティティに対するものとして捉えれらる。
したがって筆者は、差別は無くならない、と思う。
なぜなら、差別をしないということは、自らのアイデンティティを否定することにつながっていく可能性があるからだ。
つくづく人間は面倒くさい。
そんな人間関係の中で、今日も私は、人々は、生きているのだ。
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6月19日(金)より、伏見ミリオン座ほかで、全国順次ロードショー公開!
グローリー公式サイト:http://glory.gaga.ne.jp